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ざっくり解説!日本史から見る、端午の節句
五月人形の準備はOKですか?
端午の節句まで、いよいよ一ヶ月を切りました。ひな人形と違い、通年飾っておいても問題のない五月人形は、一年を通してたくさんの方にお求め頂いております。
武者、大将、若武者、兜・・te-noriには様々な武士の五月人形をご用意しておりますが、そもそも武士って、どんな人々かご存知ですか?武器を持った人?暴れん坊な人?端午の節句を目前に、今回はちょっぴり、歴史のおはなしです。
そもそも、どうして?
はるか昔のおはなしです
かつて日本は、皆で畑を耕し、作物を育てて暮らしていました。
そのうちに、農耕が得意不得意な人、日当たりが良い場所悪い場所など、人々の間に「差」が出来始めると、争いが起こるようになります。
(実際、戦争の始まりは農耕、及び「土地」の概念が出来てから、という説があります)
すると負けないように、近しい者同士で徒党を組み出します。
その徒党と徒党とが争い、くっついたり離れたりを繰り返すうちに、「国」という大きなものが出来あがりました。
一体何の話をしているんだと思われたかもしれませんが、つまりこの「争い」に参加した、農民の中でも腕っ節が強い人たちこそが、侍や武士の始まりと言われています。
朝廷から、武家社会へ
今で言うクーデターでしょうか?
そして国が大きくなるにつれて、人々の上に立つもの、貴族が出現し、「朝廷」という政権が作られます。
その朝廷の警備に当たっていたのが、「もののふ」という言葉からできた「武士」。そして従う、仕えるという意味の「さぶらう」から出来た「侍」たちです。
まだまだ発展途上の朝廷。民を省みない政治をしているうちに、あれ?実は力を持ってるのって、俺たちじゃん?と思った武士たちが、本来仕えるべき朝廷に反旗を翻し始めます。
初めに大きな謀反を起こしたのはかの有名な平将門ですが、そこからはまた、別のおはなし・・
五月人形が生まれたのは、平将門のおかげ?
桃太郎は、将門さんとは関係ありません
こうして武士による反乱が起こるたびに、人々はその力の大きさを実感し、次第に朝廷から武家社会=幕府へと変遷していったのでした。
端午の節句のために武士をかたどったお人形が生まれ、現代にまで残っているのは、武家社会が台頭したおかげ。もし貴族の世の中のままでいたら、今のように端午の節句を楽しむことはなかったかもしれませんね。武家が台頭するきっかけとなった平将門さんには、感謝しなくてはいけないかも?
ちなみに、ひな人形のお内裏様とお雛様は、朝廷のトップである天皇と皇后をイメージしたもの。長い歴史を誇る日本ならではの、様々な由来が見え隠れします。
歴史ある日本で生まれた、歴史ある卯三郎こけしの五月人形!
かなりざっくりとご紹介しましたが、なんとなく流れを掴んで頂けましたでしょうか?
武士の起こりや意味合いなどについては様々な説があり、今回ご紹介したのもその一部になります。今回調べて改めて実感しましたが、歴史って凄く奥深いものですね。お子さんと一緒に歴史の教科書を読んでみるのも、いい端午の節句になりそうです!